207 cs6 くま社長日記 Vol.154 「RADICAL' TOYに寄せて」
8月24日(金)23:54 自宅にて
最近、当社で社員全員にiPod30Gを配給した。稟議があがってきたのだ。率先してくれた人間は、今では指針方針を決める時に必ず相談する程になった、おじじぃ、である。これは正直、嬉しかった。
ボクは元勤めていた会社の後輩からの紹介で、徒歩2分のアップルストア札幌店にて、実はすでに 4GB の Nano をモニターで所持していた。ボクは社内での表現が悪くて、実際、やきもきしていた。
日之出音楽事務所の事、である。
「なにやら勝手におっぱじまったらしいぞ、こりゃ。」
だったろね。
日之出音楽事務所に、前年3月末に来日したストーンズの札幌公演でバックステージの仕事をしていたときに、偶然、ドームで再会した、まっちゃんを正式に迎えて、まもなく、1年が経過する。
そんな動きに呼応して、同じ社内、嬉しい関係造りに、気を使ってくれた、と認識している。勿論、この iPod を当社の今後のセールスツールのアイテムとして、活用スタイルを構築中だ。
所属の長谷川幸裕、Hide-c. の二人は、とてもよくやっている。
関わってくれた人たちは、ライブの動員を含めると、既に千人単位になっているし、本当に様々な方々のご支援で、とどまるところを知らぬ勢いで、日々、邁進している。今後の二人の活動から、目が、離せない。
さて、宣伝っぽくなっちゃったけど、本編。
ボクが STEPS を立ち上げた当所は、営業活動としては大変暇だった分、やりたいことだらけで、忙しかった。勿論、ボク一人だったし、もともと音楽が大好きだったし。
STV ラジオでまだ会社員として勤務していた時、とても貴重な経験をいっぱい、させてもらった。そのうちの忘れがたい、ひとつ。メモリアルライブ、と云う名の、アマチュアコンテストだ。
数々のアーティストがここで伝説を作った、伝統ある STV ホールを1週間、ぶっ続けで、ライブである。切磋琢磨したあの頃、そこで本気でぶつかり合った仲間たちとは、今でも、本当に仲が良い。当時の STV ディレクター陣。プロダクションの元気印たち。言葉で伝える事を泣きながら真剣に考えてた、あの頃。
そんな中で出合った、江別、大麻出身の男の子3人組の、摩訶不思議なバンド、RADICAL' TOY。今も音源が手元に残っているが、その時の彼らのオーディションテープは、笑っちゃうほど、レベルが低い。いや、ホントに。でも、何故かボクは彼らに「ぴくっ」と来て、出場枠に押し込んだ。
それから、3年連続で出場した。初年度に同じく出場した別のバンドの背の高い、ギターボーカルのTetsuoを加えて、新生RADICAL' TOYとしても。
彼らと関わることがとても楽しい毎日だった。自主制作のデモ以外で、初めて彼らのレコーディングをしたのは、何を隠そう、ボク。ボクが、当時勤めていた会社で、自分がチーフをしていた
セクションで購入した、YAMAHAの16チャンネルの卓で一発録り。
ニセコのペンションを借りて、合宿。同じワンフロアでやるもんだから、ヘッドホンでは演奏ノイズでラインが全く聞けない。だから、真夏のニセコのペンションで、卓を握り、ヘッドホンを付け、フェーダーに十本の指をつけっぱなしにしたボクの上に、卓ごと、布団を何重にも重ねて
かぶせてもらい、何も見えない真っ暗な中で、汗をそれこそ、バケツをひっくり返したぐらい、流しながら、それでも、何度も聞いたフレーズだから、耳だけを頼りに、録音した。
なかなか良い出来だった。
そのオケをSTV3スタに夜中、持ち込み、金魚鉢(ANブース)にボーカルのShuichiをぶち込み、唄入れをした。5スタのマイクスクリーンを外してSM58に取り付けたりしてね。(時効ってことで)
当時、DENONでワンスライトタイプのCD録音機が1台だけ、4スタにあってね。でっかい鋳物。それで記念すべきファーストCDが1枚だけ、完成したのさ。
メンバーとボク、ボクの狭いクルマに乗り込んで、クルマの窓もサンルーフも全開で、大通公園を東に西に、出来立てほやほやのファーストCDを、それこそ大音量でかけ流し、歓喜でわめき散らしながら、走ったっけ。
楽しかった。
その後、ライブを重ねるごとに、動員、動員。ベッシーをほぼ、ワンマンで満タンにした。
毎日が楽しかった。
しっかりとしたレコーディングをしたくて、ウィークエンド松本に頼んで、芸森のアトリエに機材を持ち込んで、録音した。このときには後に「夢チカ18」を立ち上げた、HTB瀬川さんも来てくれた。巨大なランチジャーを購入して、毎日、泊り込みで、Keyboardの男田三郎が賄を担って、録音した。
前後、ボクはメンバーと松本には、やんごとない理由で、誤解と困惑を与えたが、プレスに際して、ジャケットデザインや、帯、いろんな事を工面した。幡本印刷の新田には、今ではちょっと考えられないような、印刷のマジックや妙を教えてもらった。プレスにこれらを製品で持ち込むなど、今なら、手間隙を惜しまぬ作業だった。再販やライツ、JASRACを勉強したし、バーコードも取得したし。また、デジタルマスタリングもこのときに知識を得た。松本に紹介してもらい、音響スタッフの山本弘御大と出会い、長い話を聞きつつ、何とかモノにしてくれた。
結局、ゴタゴタもあって、ボクも悪かったけど、手売りも含めて、2000枚刷ったCDは半分、世の中に出回った。
バンドは東京に出ることになって、ボクはちょっとさみしい思いもしたが、ボク自身、大学を中退してベース1本で上京、結果は全く出せなかった経験があったので、反対もしたが、でもきっとコテンパンになって、それでも、帰ってきてくれると、思ってた。
実際はそう、ならなかった。
Bass でリーダーのミヤザワヒデユキは、後に、THE HOME SICKS で大活躍、あの FUJI ROCK FESTIVAL にも出演した。
Guitar の Tetsuo は、東京でライブ活動をしている。
Keyborad の男田三郎、こと佐藤と Drums のみっちーは北海道に戻ってきていると、聞いた。
借りっぱなしのロートタムセットを勝手に売り飛ばし、持ち主で今や全国で活躍中のアーティストを育てている、一法師が、そりゃ怒る、怒る。偶然、狸小路キクヤで発見し、買い戻して話をなんとか納めたけど、いろいろ大変だった。東京の詐欺師に、騙されたのだった。
メンバーはバラバラ、解散の憂き目にあった。横浜にライブを見に行ったのが、最後のステージだった。
Vocal の Shuichi は今、どうしているのだろうか?
こんな古い、しかも当人にとっては痛い、辛い話。ボクがこんなところで記述する、権利もなにもない。もしかしたら、この文章の登場人物の誰かに、訴えられるかもしれない(そんなことは、ないさ)
今も会社のストレージに、最後の30枚くらい、キープしてる。
RADICAL' TOY 1st アルバム 「 KING 」
もう販売はしていないが、思い出深い、作品だ。
久しぶりに聴いてみた。なつかしい。みんな、いい子だった。
CDのナンバリングの頭文字「OSL」。これは、紛れも無く、ここから始まって、今も使用されている。One Step Label
長谷川幸裕、Hide-c. の CD にも、「OSL」が付いている。
「少年」と云う楽曲がある。今聞いても、胸がきゅん、とする。ボクも間違いなく、青春だったからだ。
2007-08-25 12:49
Comments
言い出して、俺のフォークギターを引っ張り出してきた。親離れし始めていた生意気中学生だが、
ギターを教えてやっている時は息子の態度が違う。
確かに音楽ってイイね。言葉以上の物かもしれない
前回のコメントの飲もうかって話。
俺もいつでもいいよ。20年会ってないしな。
2007-08-26 08:27 | たけし
2007-08-27 03:42 | くま社長
この歳で早くも!?と驚くことしばしば。
クマ社長だけじゃないですよw
パソコンのメルアド変わってます。
携帯によろしく。下に入れときます。
2007-08-27 07:52 | たけし
2007-08-28 11:03 | くま社長
ミヤザワヒデユキで検索してたどり着きました。
彼とは同級のものです。
このCDも探せば家のどこかにあるはず。
地元を離れてからはなかなか近況を聞けなかったので、
当時のことが少しわかってなんだか不思議な気持ちになりました。
これから彼にメールでもしてみようと思います。
ありがとうございました。
2007-09-13 23:17 | きえ
物凄い遅いコメント返し、お許しください。
あの頃を共有しているヒトが、ここにも、いた。
こんなに嬉しいことは、ない。
ミヤザワヒデユキ、札幌最強のいい、ベーシストの一人になったね。
ありがとう、みんな。
2007-11-19 00:02 | hachi