くま社長日記 Vol.175 「平岸天神だぁ!」
時系列を無視する、くま社長日記。
それはまるで、カーク船長率いる USS エンタプライズ号のようで、
亜空間を光速を越えて飛び抜ける、ワープそのもの、とも云えるのである。前号は先月初旬の他愛もないお話にふりかけをかけて、結果、お茶漬けにしちまったような、お話だった。つづく、と記しておきながら、既に約束は破棄されたも同然である。曰く、続かない、のである。
今日(11月3日)、平岸天神太鼓保存会二十周年、そして平岸天神ソーラン踊り保存会十五周年の記念公演が北海道厚生年金会館大ホールで開催され、ご招待を受けまして、観覧させていただきに伺ったのである。
素晴らしい、の一言。
あるいは感動、の一言。
舞台監督の鵜飼氏のシンプルで太鼓保存会あるいは平岸天神の演舞を最大限に舞台で表現するライティング、あるいは美術は、YOSAKOIソーラン祭りの16年の歴史の中で、大賞5回、準大賞6回(うち2000年大会は審査なし)を堂々と誇る、平岸天神のエネルギッシュな演舞の特色である、大漁旗を振りかざす演出を空間演出の一部に念頭に置かれた、素晴らしい、舞台であった。
穴澤氏が舞台下手でお話されていた通り、15年のチームの歴史で、後発の平岸天神ジュニアに参加していた子供が、今は本隊である、札幌平岸天神ソーラン踊り(所謂、平岸天神)の中核をなすようになり、またかつての踊り子が現役引退後に、小さな子を連れて、平岸天神マスターズとして再び、ステージに華を咲かせるなど、様々なドラマがあるのだろう、と、とても感慨深く拝見させていただいた。
太鼓保存会に所属する岡本くんは小生、所属の札幌四番街祭好會、と云うお神輿會の仲間である。小生、仕事柄、数多和太鼓の演奏を見て、聴いてきたが、手を変え品を代え、と表現はおかしいかもしれないが、和太鼓の表現のある意味、限界値まで挑戦している。
どれだけ練習をしなくてはこの、演奏が出来ないか位は、小生、察しが付く。アタマの下がる思いである。
また、どう云う訳か、平岸には美人が多いらしい。
縁の下の功労者、喫茶店を経営しながら踊り子たちを叱咤激励してきた平岸天神ソーラン踊り保存会、代表の村井さんは、気丈な上、優しく、美人だ(たまに、こわい)。また踊り子たちのその華やかな演舞は殆んどが、平岸美人による、はちきれんばかりの笑顔によって、数々のプライズを手中に収めてきた源泉であると確信している。
それは、ある意味、本当のあるいは原点のYOSAKOIソーランとも云えるかもしれない。
4Sなのだそうだ。それが全てなんだろう。
その4つのカゲに、どれだけの汗と涙が隠されていることだろう。
ボクはたまたま、YOSAKOIの演舞を間近で接する機会が多々あり、その息遣い、そして涙をまじまじと垣間見た経験がある。YOSAKOIソーラン祭り本祭の、ファイナル、8丁目ステージ裏の踊り子控え場所で、である。
詳細は差し控えるが、軽率な発言をボクはしてしまった。
準大賞、受賞である。おめでとうございます、と云った。
泣いていた。
皆、泣いていた。
ボクは本当にバカな人間だ、と思ったし、このお祭りがそれぞれの人たちによって、物凄い重みを持っている、と云うことをそのとき、本当に思い知った。
語りつくせぬ、思い出と共に、本日の舞台の最後に、この素晴らしいチームを公私にわたって率いてきた牽引車、穴澤氏曰く、
「20年目もここでこうしてできることを目指して・・・。」
心配無用、と云うものだろう。
組織が、いや地域が、作り上げ、そうして反芻しながら、
築き上げているのだから、間違いないだろう。
本当に、おめでとうございました。
※写真、勝手に撮影 & UP、御容赦のほど。
2007-11-03 17:54
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