くま社長閑話Vol.350 12月8日 FBより。
ボクが生まれてから44年。ジョンがいなくなってから31年。中学生の頃、学校から帰ったら母が、「直人、大変だよ、ジョンが死んだよ。」「まったぁ。(^^)」テレビの速報を見ても信じられなかったが、母に借りた千円札を数枚、握りしめて玉光堂琴似店に泣きながら走った。なせだかなんでもいいから、ジョンに逢いたかった。なんでもいいからジョンと触れていたかった。ちょうど篠山紀信が撮影したキスをしている二人のモノクロのポートレートがジャケットの「ダブルファンタジー」で店内の洋楽レコードコーナーは埋め尽くされていた。けど、空の雲、そこにぼんやりと心配そうに映っているジョンの顔、そう、「イマジン」を買った。母に教わったビートルズ、4人のレコードは母の発売当時モノを含めて、当時の赤盤、青盤も含めて、ほぼそろっていたが、ビートル、のレコード、つまりソロの作品は一枚も持っていなかった。しかし楽曲「イマジン」、そしてアルバム「イマジン」の存在は、もちろん、知っていた。今にして思えば、あの「イマジン」のジャケットを見ると、ジョンは1980年12月8日に自身に何が起きるのか、1960年代の終わりから70年代の始め頃にはすでに、まるで知っていたかのようだ。ジョンが生きていたら、71歳。今頃ニューヨークの地下鉄のベンチシートに座り、始発駅から終着駅までのショートトリップを若者たちに気付かれずに済みながら、そして、気付かれぬ事を楽しみながら、めくりめく通り過ぎた「ロックンロール」と云う名の「青春」を心の中で、リフレインしていたのだろうか?
2011-12-08 12:47
Comments
コメントはまだありません