くま社長閑話 Vol.384 「大きな木」
一日に一つ、成果を上げる事が出来たら、それは素晴らしい事ではないか?出来れば、二つか三つ、上出来である。
成果とは一つ実のなる事であって結果ではない。
成果はプロセスのひとつで、出来不出来は云わばその日のお天気の様なものだと思へば佳い。
晴れのときもあれば、雨風の日も、ある。
小さな木になる果実は収穫も少なく果実一つはそう、大きくはない。
やがて大きな木になる果実はたわわに、甘く優しく、大きく、収穫も多大だ。
木が大きくなるまでの間、いい季節、そう佳くもない季節、全く駄目な季節があるだらう。
しかし大きくなるにつれ根もしっかりと張り、枝葉が活発に成長し、大雨や強い風雪にも耐え抜く事が出来るようになる。
木は大きくなれば他に様々と思わぬ役に立つこともある。
一際大きな木は動物達にとって生息域でのランドマークとして道しるべともなり、人間にとっても日々の生活の安心感を提供する。
なにより、生きるものを雨風から守ってくれる大きな家のようなものとも云えるのではないか?太古よりずっとこの場所に在り続ける姿そのものこそが、大きな成果と云うものだ。
また木の小さなうちは毎年その著しい成長の様をその大きさの変化によってうかがい知ることが出来るが、大きな木は、既に大成しているが如く、不動のように見えながら、矢張り日々成長し続けているのである。
見えない成長こそが老年を迎える人間の在るべき姿、成るべき姿なのかもしれない。
久しぶりに中島公園の食堂前のベンチでひとり、初秋、冬のような装束をして珈琲をやる。
ベンチの横に在る大きなイタヤカヤデはわたしが幼少の頃よりここに在る、大木だ。
暮れなずむ菖蒲池の上を行き交うボートを向こうに紅葉をぼんやり眺めながら、このイタヤカヤデの大木に想いを馳せる。
私もこの様な大きな木のように、ここに在りたいと想った。
素焼きの珈琲カップは案外早く、その底を見せた。
平成二十八年神無月十五日吉日
中島公園にて
2016-10-15 18:58
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